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糖尿病は,紀元前1500年にエジプト人の記載がある位に古い病気で,1921年当時まで,この病気にかかったら確実に死に至るものであった.1889年 フォン メーリング&ミンコフスキーは犬の膵臓を完全に除去しても生きていけるかを調べたところ,偶然に,糖尿病ができる事を発見 1989年から1921年までに,世界のあまたの有名な科学者(いわゆるエリート達)がよってたかってインスリンの抽出を試みたが,失敗していた. バンチングは,整形外科で開業したが,はやらず,フィアンセにも逃げられた位であった.暇なので,医学図書館に日参し,読書を始め,次いで生理学と解剖学の実験助手となった.その時に,バロン博士の論文(膵ランゲルハンス島が糖尿病に関係あるホルモンを分泌しているという内容)やミンコフスキーの業績などに出会い,ひらめいた.俺がやると. そこで,当時の指導的生理学者であったマクレード教授に実験を希望.マクレード教授は「最も熟達した生理学者が膵臓の内分泌を証明しようとして成功していないのに,君自身何ができると期待しているのか」と言った位であった. しかし,再々のお願いの結果,教授は自分の夏休みの間だけ,実験を許可(これだけで,ノーベル賞.最近「トリビアの泉」にこの事が取り上げられましたが,ベストの名前が全く出ず,がっかりしました),その際に医学部の学生に手伝いたいものはいるかと聞き,手を挙げたのがベスト(ともう一人いたが)であった.(後年,ベストはマクレード教授の後任の教授となる) 許可を得た後に,バンチングは開業を辞め,実験助手も辞めて,背水の陣の気構えで実験を開始した. 膵管を結紮して,膵臓がもつ消化酵素で膵外分泌線を破壊して,インスリンを分泌するランゲルハンス島(ランゲルハンスが学生時に発見)のみ残し,抽出した.できるだけ低温で,清潔で,酸性溶液で抽出したのが良かった. バンチングの言葉「医学雑誌や教科書の論考の価値はそれに含まれている情報だけによるのではなく,それが鼓舞するであろうアイデアによるのである.知識それ自体は価値はない.それが新しいアイデアを構築してはじめて価値を生む.知識のために,そして事柄を記憶しようとして読書する医学生は試験には合格するであろうが,これらの諸事実を熟考し,考量し,心の中で反芻しない限り医学知識にはほとんど寄与するところがないであろう」 イギリスの糖尿病学の権威(自身も糖尿病で,インスリンで生き返った)の言葉「もしマクレードが支持をしなかったら,バンチングのあのインスリン発見のもとをなすアイデアはどうなっていただろうかと時々思うことがある.しかし,バンチングはどこででも,どうしてでも,それを物にしたにちがいない.ただ,成功のヂュエットを奏でるために不可欠であったベストに代わる人物は果たして,どこででも得られたであろうか」 |
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